ベビメタ七転八倒

ベビメタのブログだったのに最近は鞘師多め

親目線

カンザスシティーの衝撃からというもの、寝ても覚めてもこの新しいBABYMETALについて考え続ける日々が続いています。自分は音への興味が一番なので、新曲4曲のことが色々と気になり、あれやこれやと考えを巡らせていました。

In the Name Of は広島では今ひとつ馴染めなかったのですが、Distortionが出たことで、一連の音世界を構成する曲として納得ができました。

カンザスシティーの前日に発表されたDistortionは、最初聴いた時点ではあまり好印象ではありませんでした。ところが、数回続けて聴くうちに見事に中毒症状となり、ライブのファンカムを無限に漁り続ける状態に陥りました。もはや私にとっては紅月に次ぐ名曲です。

Elevator Girl も最初は全然ピンと来なかったのですが、徐々に耳が馴染んできて、最近ではむしろ好きな曲だと言えるようになってきました。この曲は、SU、YUI、MOAの3人のダンスでのパフォーマンスになると更に魅力的なステージになりそうです。

さて、今回の本題はもう一つの新曲、TATTOOについてです。

この曲も他と同様、最初に聴いた時に強い違和感がありました。そして、この曲だけは今もその違和感が続いているのです。リアクション動画をYouTubeにアップしているBSHという人がいますが、彼がTATTOOへのリアクションで語っている「ダークサイドの曲は、ライトサイドよりもライト(軽い)になっている」というコメントは、的を射ていると思います。

ライトという点ではElevator Girlもその傾向が感じられますが、曲の内容はBABYMETALらしい捻りが効いている。しかし、TATTOOにはそれも感じられず、この曲をBABYMETALが演奏する意味があるのだろうか、という疑問を拭い去ることが初めはできませんでした。

そんなことを思いながらTATTOOのファンカムを何度も繰り返し見続けていたところ、ふと頭に浮かんだことがありました。

この曲はひょっとしたらSUが作詞・作曲に関与しているのではないか?

TATTOOのステージ上でSUがかつて無く自由に振る舞っていることは見て明らかなのですが、歌唱への感情の込め方も他の曲と違っているように感じます。これまでは中元すず香が演じるSU-METALとしての感情だったものが、自分あるいは自分と同種の生身の人間が持つ感情をこの曲では歌っている。これは従来とまったくの別次元です。

なぜこの曲だけは違うのか、と考えて湧いてきたのが、SUが曲作りに関わっているのではないかという考えなのです。そう考えると、この曲に対する見方がずいぶん変わってきます。実際にTATTOOの曲作りにSUが参加しているかどうかはわかりませんが、楽曲との距離がこれまでより近づいていることは確かなように思います。

以前「本質」という題で投稿した中でこのようなことを書きました。

「自分にとってベビメタの本質とは、①ベビメタのために入念に作り込まれた素晴らしい楽曲と、②さくら学院的な気質を体現しながら歌い踊るフロントの女性達、ということになりそうです。」

「2018年のメタルレジスタンス第7章において BABYMETAL が一体どのような姿を見せるのか、期待と不安が渦巻く今日この頃ですが、何が来たとしても自分は結構柔軟に受け止められるのかもしれないと思い始めました。」

この時は自分でもよくわからないままに「さくら学院的」という書き方をしたのですが、その意味はおそらく「成長に向けて真っすぐひたむきに前進する姿を見せてくれる」ということだったのだと思います。そして、その観点でTATTOOという曲を見た時に、これはひょっとするとこれまでで最も重要な曲なのかもしれないと思うのです。

中元すず香/SU-METALという類稀な才能を持つ歌手が、更に先の次元に進もうとしている。その姿を我々は同時進行で目撃することができる。もはや父兄とか親目線という言葉は不釣り合いではあるけれど、同種の喜びを感じられているのだと思います。

さくら学院とBABYMETALは今も強く繋がっていると、これまで以上に感じる今日この頃です。

2015年のRoR:ファンカム5選

少しはGWらしいことをしたいと考えていたところ、つい思い付いてしまいました。Road of Resistance の聴き比べ。膨大に音源があってとても全部を聴くことはできないので、今回はテーマを設定して範囲を絞ることにしました。絞った対象は、2015年にライブで撮影されたファンカム。その理由は、自分はベビメタの2015年の活動のことがよくわかっていないと以前から感じていたためです。

2014年は武道館があり、その後ソニス、The Forum、レディーガガ帯同、Brixtonなど、とても印象に残る年でした。2016年はWembleyで始まり、夏のDownloadや国内4大フェス出演を経て、東京ドームに至るという、これも記憶に残りやすい年だったと思います。ところがその間に挟まれた2015年はどうも影が薄い感じがします。1月の新春キツネ祭りと12月の横浜アリーナは印象が強いのですが、その間の11ヶ月間のベビメタはどのような様子だったのでしょうか。

実は、2015年のRoRに注目した直接のきっかけは、ニコニコ動画にアップされているこの動画でした。

BABYMETALライヴ参戦予習用その2 - ニコニコ動画

2015年のメトロックでのRoRなのですが、公式映像よりも音がずっと生々しいのです。数多あるプロショットのRoR映像の中でも群を抜いて素晴らしい。これがきっかけで、ベビメタの2015年に俄然興味が湧いてきました。自分はどうしても現場で鳴っている音に関心があるので、ファンカムに絞って片っ端から見て行きました。その結果、これが素晴らしいと思ったものを、時の経過に沿って書いていきます。

1. メキシコシティー(5月9日)


Babymetal - road of resistance mexico city

これは凄いです。観客の盛り上がり方がとにかく凄い。ヨーロッパやアメリカとは全然違う、中南米特有の熱狂ですね。メキシコシティーは標高が2000メートルを超える高地のため、ベビメタのメンバーは高地対策を工夫したり、いつもよりライブ中のパワーをセーブしたとのこと。しかし、観客にここまで盛り上がられて、しかもRoRはその日最後の曲でした。もはやリミッターを外さざるを得ないという、なかば自棄っぱちな思い切った演奏に聴こえるのは私だけでしょうか。

2. ROCKAVARIA、ドイツ(5月29日)


Babymetal - Road of Resistance (Rockavaria 2015 live)

これはミュンヘンで開催されたフェスでのステージです。たしか、SU-METALが何かのインタビューで話していたことだと思いますが、「メキシコシティーの公演で力をセーブすることを体が覚えてしまったため、その後しばらくの間、全力のパフォーマンスに戻すことがなかなかできなくて苦しんだ」というエピソードがありました。ROCKAVARIAは、まさにこの苦しんでいた時期にあたっており、SUの歌声に普段ではあまり聞くことがない乱れがあることに気付きます。しかし、演奏全体を見れば十分に素晴らしく、会場は大いに盛り上がったことと思います。

3. ROCK IM REVIER、ドイツ(5月30日)


BabyMetal - Road of Resistance [Live @ Rock im Revier 2015]

2日続けてのドイツでのフェスです。上に貼り付けた動画は、とにかくベースの音が素晴らしい。一体どのような機材で録画・録音したのかわかりませんが、公式音源でもここまでくっきりとベースが聴こえることはあまり無いでしょう。BOH神ファンに特におすすめです。

4. チューリッヒ、スイス(6月3日)


BABYMETAL at ZURICH (last 2 songs at X-TRA Switzerland 03/06/2015 7/7

上に貼ったファンカム動画(後半がRoR)は驚くほど音質が良いので、ぜひ聴いてみてください。メキシコシティー公演の影響による不調は、このチューリヒの前に行われたフランス・ストラスブールでのライブで復調のきっかけを掴めた、とSUは語っていたと記憶しています。この動画での歌声を聴く限りでは、まだ本調子とは言えないように私には感じられます。

5. ボローニャ、イタリア(6月5日)


BABYMETAL Road of Resistance @ Estragon Bologna 05-06-2015

今回聴きまくった演奏の中では、このボローニャが最高でした! SUの歌声も完全に復調しています。この日の会場はとにかく暑かったという話がありました。BOH神も大村神も衣装の袖を肩まで捲り上げて、文字通りの熱演。暑さの中でステージ上の全員が普段とは違うハイな状態になっていたのではないかと思わせる、壮絶なパフォーマンスではないでしょうか。

さて、こうして集中して色々見ながら感じたのですが、ファンカム動画は小箱ライブのものが良いですね。ステージとの距離が近いところで撮影され、しかも観客の反応も良くわかる。ライブの現場の雰囲気がとても良く伝わります。もうすぐ始まる今年の欧米ツアーでも小箱がたくさんあるので、現地からどんなファンカムが上がってくるか、今からとても楽しみです。

 

比較ライブ論(3)

このところ「MCなし」の意味について考えています。きっかけは、氣志團のライブを見る機会があったため。お前はロスが嵩じてとうとう氣志團まで行ってしまったのか、と言われそうですが、これはまったく偶然に訪れた機会でした。

氣志團のステージ上での構成は、実はベビメタと似ています。バックバンドは4人で、ギター×2、ベース、ドラム。ドラムはツーバス。メインボーカルがいて、その横や後ろでダンスをする人が数人いる。決まった振り付けで動きながら歌い踊るという形です。パフォーマンスの中身は勿論ベビメタと全然違うのですが。

さて、私が見た氣志團のステージは少し変わった状況でした。氣志團のファンだという人はおそらく観客の1割以下で、大半はテレビで見たことがあるという程度。中には氣志團なんか見たくないよという人も1割くらいはいただろうと思います。まったくのアウェー状態ですね。

案の定、最初の数曲はあまり盛り上がりません。コール&レスポンスを促すような場面もありますが、ほとんど反応が無い。ところが、そんな状況から会場の雰囲気を変えたのがMCでした。最初は観客をイジる。次は自虐ネタで自分達をイジる。最後は、観客に身近な話題でステージと観客の一体感を作り出すことに成功。そこからの演奏は大いに盛り上がりました。

そういえば、去年友人に誘われて西野カナの東京ドーム公演に行った時にこんなことがありました。ステージの中盤で、観客がその日にSNSで投稿した文章を西野カナが読み上げ、書いた本人にその場で手を挙げてもらうというコーナーがあったのです。これは毎回行われているようですが、なかなかに盛り上がりました。自分のような部外者でさえステージとの距離が縮まったような気持ちになりました。

ロック系やポップ系の音楽の場合、演奏者と観客が一体感を持てることが重要で、そのために演奏者側がいろいろ工夫する。その手段の一つがMCなのだとわかってきました。では、首尾一貫して「MCなし」を続けているベビメタのライブを一体どのように捉えれば良いのでしょうか。

ベビメタがアウェーをひっくり返したステージと言えば、ソニスフィアがその最たるものであることは明らかです。すでに数えきれないほど見た、ソニスフィアでの全曲が繋ぎ合わされたファンカム動画を改めてじっくりと見てみました。

この日のセトリは、BMD〜ギミチョコ〜CMIYC〜メギツネ〜IDZ の5曲でした。始めから1曲ごとに盛り上がりが高まって行き、最後のIDZで頂点に達した訳ですが、単純に直線的に昇って行ったのではなく、何か観客の心を掴んだ瞬間があったのではないか。そんなことを考えていると、「おっ!これは!」という箇所を見つけたのです。

その箇所とは、CMIYCで神バンドのソロが終わり、SU、YUI、MOAの3人が「ハイ!、ハイ!、ハイ!、ハイ!」と叫びながら上手側から出てくる、その最初の「ハイ!」の瞬間です。ただ単に合いの手を入れるのとは全然違う、全力を振り絞って会場の一番遠くまで届かせようとするような、すごく力強い声なのです。この瞬間に観客の意識がステージの3人に引き込まれたように感じます。

伏線が、その前のギミチョコにありました。大半が初見のイギリスの観客に和製英語の歌詞をいきなり歌わせるという、勇気溢れるパフォーマンスというよりもほとんど暴挙。しかし、それによって3人が観客に強く意識を向けていることは伝わったでしょう。そして、CMIYCの「ハイ!」で観客の心が反射的に3人に向けて動く。ステージと観客の間に強い一体感が生まれた瞬間だと思うのです。

ベビメタがスタート当初からライブでMCをやらなかったのには、色々理由があったことでしょう。さらに海外では、もはや喋ろうとしても日本語ではなかなか伝わらない。そんな中で、曲の演奏の中だけで観客と気持ちを通じさせる方法を編み出してきたのがベビメタのライブなのですね。

ベビメタの3人はインタビューで「音楽は本当に国境を超えるんだと思いました」という意味のことを何度か言っています。でも、それはただ音楽だから超えている訳ではなく、彼女たち3人だからこそ超えさせることができているのでしょう。

 

音楽を牽引する力

前回の投稿を書きながら改めて思い起こしたことがありました。それは、プロの音楽家の間でも「音楽を奏でる力」とでもいうような能力が、人によって大きく違うということです。自分のバックグラウンドがクラシック系の音楽なので、今回はそちらの話が多くなると思います。

クラシックには協奏曲というジャンルがあり、例えばバイオリン協奏曲だと、ソロのバイオリン奏者ひとりで数十人のオーケストラと対峙して演奏することになります。バイオリンはそれほど音量が大きい楽器ではありません。オーケストラ側が音量を抑えめにしたとしても、普通に弾いているだけでは音が埋没してしまいがちです。そのため独奏者は、音程をわずかに上げて演奏するなどの工夫をすることになります。

ところが、バイオリニストの中には、音量の大きさではなく、身体の中から湧き上がる音楽の発信力でオーケストラ全体をいとも簡単に凌駕してしまう人がいます。私がコンサート会場で実際に体験した中では、五嶋みどり神尾真由子。また、映像でしか見たことがありませんが、ギドン・クレーメルやレオニダス・カヴァコスといった人達もその部類だと思います。

こういったソリストと出会ったオーケストラ団員は、最初のリハーサルで最初の一音を聴いた瞬間に悟るはずです。今回は段違いに凄い奴が来たと。その瞬間からオーケストラは、ソリストが牽引して描き出す世界観を具現化し、増幅する役割に集中していく。そのようにして名演奏が生み出される。自分はそのように考えています。

さて、それがベビメタとどう関係があるのでしょうか。

BABYMETALとはフロントの3人だけなのかバンドと合わせた7人(あるいは8人)なのか、神バンドにリーダーはいるのか、といった問いが常にあります。これらは突き詰めると、あの筆舌に尽くしがたく素晴らしいベビメタのステージを生み出している中核は何なのか、という疑問に至ります。これをステージの外に求めると、前回書いたような manufactured という表現が出てきます。しかし、ベビメタのステージがライブパフォーマンスである以上、演奏の核心はステージ上にあるはずです。そして、その核心はやはり SU-METAL だと思うのです。

BOH神がかつて投稿した有名なブログがありますね。SU-METALさん、YUIMETALさん、MOAMETALさんの3人を自分は尊敬してやまない、という。これを読んだ時に自分はなんとなく、3姫の頑張りといった精神面の強さのことを言っているものと受け取っていました。それは勿論あるはずですが、今思うと、BOH神の記述には、それに加えて純粋に音楽を演奏する者としての尊敬が込められていたのではないかと感じるのです。

BABYMETALが世界トップクラスのアーティスト達の注目を集め始めた2013年、SU-METALは弱冠15歳でした。でも「音楽を奏でる力」に年齢や経験は関係ありません。若くても、初心者でも、凄い人は凄い。時期は下りますが、レッチリやコーンのメンバーがなぜ嬉々としてバックバンドで共演するのか、ロブ・ハルフォードがなぜ対等の立場でSU-METALとボーカルを競い合うのか。それは、自分達と同等(あるいはそれ以上)の力を持つアーティストと音楽をできる喜びがあるからでしょう。

観客としてベビメタのライブの現場に行っても、SU-METALのそのような力を感じ取ることは難しい。とにかくあの爆音だし、照明効果も目まぐるしいですので。しかし、7人の意識の糸はおそらく緊密につながっていて、その中心で全体を牽引し、支えているのはSU-METALその人なのではないでしょうか。いつの日か、関係者の証言を聞いてみたいものです。

比較ライブ論(2)

リアクション動画のヘッジーさんに影響されて、行ってしまいました! 人間椅子のライブ@O-EAST。もうベビメタとはほぼ何も共通点のない、あるとすればドラムがツーバスなところくらいでしょうか。いや、もう一つありました。世界中にこんなバンドは他に絶対に無いと思わせる強烈なオリジナリティ。いやはやぶっ飛びました。人間椅子にもぜひ世界に出ていただきたいです。

さて、異形の別世界にしばらく浸ったあとでベビメタに戻ってみると、これまた気づきがあるものです。今回もまたそんな話を。

ベビメタへの欧米でのリアクション動画や論評でよく見聞きする言葉に、manufactured とか commercial という表現がありますね。好意的か批判的かで意味合いが変わってきますが、日本語にすると大体次のような感じでしょうか。

manufactured:外部の手で作り込まれた

commercial:耳触りが良い(→商業的な成功を狙っていそう)

さて、人間椅子の世界から帰還して、改めてベビメタのライブを見て感じたのは、ベビメタのパフォーマンス全体がとてもクリーンだということでした。海外の論評でも時々 clean という表現を見かけますが、その意味するところがわかってきた気がします。

clean:明瞭で聴き分けやすい

人間椅子は3人編成(ギター、ベース、ドラム)のバンドで、方向性はクリーンさとは真逆の世界。3人だけでよくあれだけ混沌とした音を作れるものだと感心します。

一方、ベビメタはステージ上に7人。バンドの音は凶暴で濃密。メインボーカルの声には強烈な浸透力があり、両脇の2人は高音の合いの手を入れながら終始踊り続けている。これらをステージの上にただ並べただけでは、間違いなくゴチャゴチャとした乱雑な演奏にしかならないでしょう。それがなぜクリーンになるのでしょうか?

人間椅子とベビメタのライブを聴き比べて、印象に残ったことの一つがギターの音の止め方です。意図的かどうかはわからないですが、人間椅子の場合は音の終わりをかなり荒く扱っているように聴こえる。それと比べると、ベビメタのギターとベースは、出す音と出さない音を綿密にコントロールしているように感じるのです。そうすることによって、あれだけの音数でありながら、曲の構造をはっきりと明瞭に聴き手に伝えつつ、ボーカルを妨げない演奏とすることに成功しているのではないでしょうか。

そんなことを思いながら、ふと思い出したのが、藤岡神のインタビュー記事です。ヘドバン vol.10 の中にこんな話が書かれていました。

『むらっちとか見てても思うのは、例えば休符がキレよく入るんですよ。めっちゃ歪んでて。「悪夢の輪舞曲」とか波形で見てもそこでスパッと、めっちゃ切れよく入る。BABYMETALは出来るだけキレよくやろうとしていて。どこまで伸びて、ここで絶対止まるっていうような、2人が完全にシンクロしてる感じ。』

『さっき言ったミュートの感じとか、どこまで伸ばすとかみたいなのは凄く集中してやってます。神バンドは基本的にみんなめっちゃ耳がいい気がするんですよ。本番でもよくあるんですけどフィードバックして、この辺で消えなきゃいけないのに、ちょっと残っちゃった。でも、ドラムがバーって入ってるからバレてないだろうなって、むらっちを見るとこっち見てる(笑)。』

自分はギターの経験がないので、これがどれだけ難しいことなのか十分にはわかりませんが、7本の弦で爆音を鳴らしながらの微細なコントロールは容易ではないものと思います。ベビメタのライブ演奏があれだけクッキリとクリーンに聴こえるのは、まさに「神わざ」の賜物なのでしょう。

ベビメタのライブがクリーンな印象を受けるのは、バンドの音だけではありません。SU、YUI、MOA の3人を合わせたパフォーマンス全体がとてもスッキリとした見通しの良さを備えていると感じさせます。これはどういうことなのでしょうか。

自分がベビメタにハマる前にいつも聴いていたクラシック音楽でも「見通しの良い」演奏という表現をされることがあります。例えばマーラーという作曲家の交響曲は、楽器の数が多くて曲の構造も複雑で、オーケストラが演奏する音がどうしてもゴチャゴチャになりがちです。ところが、ブーレーズやインバルといった指揮者の手にかかると見事にスッキリとした、まさに見通しの良い演奏になるのです。

この違いが生じるのは、指揮者が正確な演奏をオーケストラに厳しく求めるからという理由もあるかもしれません。しかし私の推測では、それよりも、演奏者一人一人に対して自分が複雑な曲の中でどういう役割を果たしているのかを意識させる能力が高いことによると考えています。自分の演奏者としての経験の中でも、ただ立っているだけでそれができる指揮者が確かにいました。

ベビメタのライブでは指揮者がいるわけではありませんが、楽曲、ダンス、ステージ上の動きなど、ほぼすべてが事前に綿密に決められている。そして、7人は与えられた役割をただ遂行するのではなく、ステージ上の隅々まで意識のアンテナを張り巡らせながら全力でパフォームする。個々の役割意識と全体の意識が上手くバランスしているのだと思います。

ベビメタの音楽は確かに外部の手で作り込まれた manufactured なものですが、それを高度な技術と強烈なステージ意識(プロフェッショナリズム)によって、cleanで見事なライブ・パフォーマンスに昇華させる。その結果、全力疾走のライブ映像でさえ、見る者に commercial と感じさせてしまう。それがベビメタの凄さなのではないでしょうか。

 

比較ライブ論

行ってきました! BAND-MAIDのライブ@ZEPP TOKYO。なかなか良かった。良かったのですが、実はライブの間じゅうずっとベビメタのライブのことばかり考えてしまいました。もう、私はどうかしてますね・・・。BAND-MAIDの皆さんごめんなさい。でも、どちらが良いとか悪いとかと考えていたわけではないのです。ただ、他のバンドのライブに行ってみて、ベビメタのライブの何が素晴らしいのか改めて気づくことが色々あったので、今回はそのことを。

知っている曲は楽しい!

自分はBAND-MAIDを好きではあるのですが、すべての曲を聴き込んでいるわけではないので、昨日のライブで演奏された曲の中でよく知っているのは半分以下でした。その中で比較すると、知っている曲の方が圧倒的に楽しい! ライブはしっかり予習してから行った方がずっと楽しめるのだということが良くわかりました。

ではそれと比較してベビメタの場合はどうか。発表されている曲の数が少ないとか、ライブで演奏する曲がいつも同じだとか、どちらかというと不満っぽい感じで言われることがありますね。でも、そうであるからこそ、ある程度ベビメタを聴き込んでいるファンはライブで演奏される曲のすべてを隅々まで知っているわけです。これはベビメタのライブが異常に盛り上がる大きな理由の一つなのではないでしょうか。

半年に1回くらいは新曲があると嬉しいとは思いますが、ベビメタはこれまでのようなペースでやってもらうのが良いと自分は思います。

紙芝居って凄い発明かも

2時間程度のライブだと、どうしても何回か場面を切り替える必要が出てきますね。そういう時って、どうしても手持ち無沙汰で間延びした感じになってしまいます。

確か雑誌のインタビューでKOBAが、紙芝居を始めたのは持ち歌が少なかった時期の苦肉の策だったような話をしていたかと思います。しかし、今となっては凄い発明だったと思うし、小箱ライブの時期から敢えて制作コストがかかるやり方を選択したのは素晴らしい判断だったのではないでしょうか。

色々な曲があると飽きない

自分達で曲を作っているバンドだと、やはりどうしても作風が似てくるのは致し方のないことだと思います。BAND-MAIDも色々工夫していると思いますが、どうしたって振れ幅はベビメタと比べれば小さい。

1時間半前後のライブの中で一つとして他と似た曲が無いベビメタのステージは、ミュージカルのように構成を考え抜かれた見事な作品なのだと改めて思います。

楽器演奏のテクニックに惹き込まれる

BAND-MAIDのライブ演奏でも曲の中でギターやベースのソロっぽい所があると盛り上がります。凄い楽器演奏は、もうそれだけで快感ですね。

このところ、自分はなぜメギツネがそれ程好きでは無いのか、その理由をあれこれ考えていたのですが、何となくわかってきた気がします。メギツネの演奏ではステージ上の神バンドが出す音があまり前面に出てきません。曲全体を通して最も目立つのは録音されているキーボードの音なので、現場との一体感がどうしても出にくい。神バンドにキーボードも加えてはどうか、という意見を聞くことがありますが、確かにそれも良さそうに思えてきました。

昨日のBAND-MAIDのライブではインスト曲もあって、これがかなり盛り上がりました。それで思い出されるのが、武道館でのインスト〜悪夢の輪舞曲の展開です。リアクション動画でも人気が高いこの2曲をまたどこかで演奏してくれないでしょうか・・・。

ダンスが求心力を作る

普通のロックバンドだと、ライブのステージ上ではメンバーそれぞれが楽器を演奏したり歌ったり、バラバラな動きをすることになります。自由で躍動的とも言えるのですが、ステージが雑然とした感じになるのは否めません。

大物バンドだと、派手な映像や照明で空間をコントロールしたりしますが、舞台上のアーティストのパフォーマンスを純粋に楽しみたい者にとっては、あまり正当的ではないアプローチだと感じます。

ベビメタのライブが他と一線を画すのは、3姫の一糸乱れぬダンスに観客の意識が集中することではないでしょうか。それによってライブ会場のエネルギーが一つにまとまる。1,000人のライブハウスでも、55,000人のドームでもそういう状態を作り出してしまうベビメタのライブは稀有な存在だと思います。

アコースティックの魅力

昨日のBAND-MAIDでは、SAIKI(ボーカル)がKANAMIのアコースティック・ギターで2曲歌う場面がありました。女性ボーカルが大音量のバンドの音を突き抜けるのを聴くのもいいけれど、素晴らしいボーカルの声はじっくり聴いてもみたいものです。

ベビメタのライブ史上に輝く特別なパフォーマンスの一つに、Legend 1997 でのアカツキ(Unfinished Ver.)がありますね。ピアノと弦楽器の控えめな音に乗せてSUのボーカルを集中して聴くことができる。そして、Legend S での THE ONE の前半。ここで聴くことのできるSUの歌声は他には代えがたいものです。

今後のライブでも、また何かを聴きたいですね。アコースティックではないですが、BOH神の6弦ベースとSUのデュエットというのも良さそうですが、どうでしょうか・・・。

メギツネ考

もうベビメタの次の展開が気になって気になって、おちおち寝てもいられない日々が続いていますね。しかし、だからこそ、ここでこれまでをもう一度振り返ってみるべきではないか、と思い立ち、1st アルバムを改めて聴き返してみました。

ベビメタはスタジオ録音よりライブの方が遥かに素晴らしい、とは多くの人が語るところであり、私も同じように思ってきました。ところが今回聴き返してみて、1曲だけ例外があると感じたのです。それがメギツネでした。

これまで数多のライブ音源を聴いてきた中で、なぜかいつも次の曲に早送りしたくなるのが実はメギツネでした。曲に入る前の「さくらさくら」のメロディの繰り返しが長いから、ということもあるのですが、それだけが理由ではないような気がする。メギツネはライブの現場で凄く盛り上がるのはわかっているのです。なのになぜ普段は今ひとつ物足りなく感じてしまうのでしょうか…

ところが今回 1st アルバムのメギツネを聴いてみて驚きました。これならじっくり聴きたい。いや、何度でも繰り返し聴きたい。曲の最初から最後まで一貫して張り詰めたSUの歌声が尋常ではない。隅々まで力と感情が漲った、色彩豊かな歌唱ではないですか!

以前にも書きましたが、SUがライブで歌うのに最も苦労している曲はアカツキとメギツネだと思っています。この2曲は、SUのあの直球勝負の歌い方で、音程を維持しながらブレス(息)を支えて歌い続けるのはとても難しいのでしょう。2013年の初披露から経験を重ね、声質にも厚みが出てくることによって、メギツネを歌いこなす力は確実に上がっていますが、それと反比例して、1st アルバムで聴けるようなニュアンスに富んだ歌ではなくなってきたように感じるのです。

そのようなことを考えながら、例によってメギツネの聴き比べをしてみました。今回は初期の頃から順に書き進めていきます。

1) Legend 1999

これが自分が手元で聴ける最も初期のメギツネです。音源のバランスが偏っていてボーカルがバンドの音に隠れがちなのですが、ここでのSUの歌い方は 1st アルバムにかなり近く、自分としてはとても嬉しい。映像も暗い赤と黒が主体の中で、ホール全体が異様に盛り上がっている様子を伝えており、SUの絶唱と合わせて何とも言えぬ空間が出来上がっています。

以前にアカツキを聴き比べた時にも書きましたが、自分は Legend 1999 を過小評価していたのだと思います。アカツキとメギツネ以外にも、聴き込めば更に色々発見できそうな気がしてきました。

2) Summer Sonic 2013

今回最大の掘り出し物はこれです。音のバランスが良いのでボーカルがはっきり聴こえます。SUの歌い方は少し変わってきていますが、まだ 1st アルバムに近い。自分的にはメギツネのすべてのライブ録音の中でこれがベストだと思います。

2013年のサマソニと言えばメタリカとの出会いという重大な出来事につい目が向きがちですが、演奏にもこんな聴きどころがあったとは嬉しい驚きでした。

3) Legend 1997

メギツネでは稀少な骨バンドでの演奏です。この音源も Legend 1999 と同様にボーカルの声が隠れがちなのですが、おそらくこの頃には歌い方がかなり現在に近くなっていたものと思います。それまでが「少女型メギツネ」だったとすれば、「お姉さん型メギツネ」に成長したという感じでしょうか。

4) 武道館・赤

この日、メギツネはステージの1曲目でした。初の大きな舞台装置で覚えなければいけないことが多く、納得できるパフォーマンスができなかったとSU自身が語っている赤い夜。初っ端だったメギツネの歌声には余裕の無さが感じられます。ただ、それが歌い方としては「少女型」に戻ったように感じられ、自分としては好きな演奏です。

5) 武道館・黒

赤い夜の翌日、気持ちの余裕を取り戻したこの日のメギツネは、もうすっかり「お姉さん型」になっています。そして、SUの声の変化もあり、これ以降「少女型メギツネ」が現れることはなくなったものと思います。

SUが日々成長していく様子を見ることは大きな喜びなのですが、ことメギツネについてだけは残念な気持ちが湧いてきてしまうのでした…