ベビメタ七転八倒

ベビメタのブログだったのに最近は鞘師多め

比較ライブ論(2)

リアクション動画のヘッジーさんに影響されて、行ってしまいました! 人間椅子のライブ@O-EAST。もうベビメタとはほぼ何も共通点のない、あるとすればドラムがツーバスなところくらいでしょうか。いや、もう一つありました。世界中にこんなバンドは他に絶対に無いと思わせる強烈なオリジナリティ。いやはやぶっ飛びました。人間椅子にもぜひ世界に出ていただきたいです。

さて、異形の別世界にしばらく浸ったあとでベビメタに戻ってみると、これまた気づきがあるものです。今回もまたそんな話を。

ベビメタへの欧米でのリアクション動画や論評でよく見聞きする言葉に、manufactured とか commercial という表現がありますね。好意的か批判的かで意味合いが変わってきますが、日本語にすると大体次のような感じでしょうか。

manufactured:外部の手で作り込まれた

commercial:耳触りが良い(→商業的な成功を狙っていそう)

さて、人間椅子の世界から帰還して、改めてベビメタのライブを見て感じたのは、ベビメタのパフォーマンス全体がとてもクリーンだということでした。海外の論評でも時々 clean という表現を見かけますが、その意味するところがわかってきた気がします。

clean:明瞭で聴き分けやすい

人間椅子は3人編成(ギター、ベース、ドラム)のバンドで、方向性はクリーンさとは真逆の世界。3人だけでよくあれだけ混沌とした音を作れるものだと感心します。

一方、ベビメタはステージ上に7人。バンドの音は凶暴で濃密。メインボーカルの声には強烈な浸透力があり、両脇の2人は高音の合いの手を入れながら終始踊り続けている。これらをステージの上にただ並べただけでは、間違いなくゴチャゴチャとした乱雑な演奏にしかならないでしょう。それがなぜクリーンになるのでしょうか?

人間椅子とベビメタのライブを聴き比べて、印象に残ったことの一つがギターの音の止め方です。意図的かどうかはわからないですが、人間椅子の場合は音の終わりをかなり荒く扱っているように聴こえる。それと比べると、ベビメタのギターとベースは、出す音と出さない音を綿密にコントロールしているように感じるのです。そうすることによって、あれだけの音数でありながら、曲の構造をはっきりと明瞭に聴き手に伝えつつ、ボーカルを妨げない演奏とすることに成功しているのではないでしょうか。

そんなことを思いながら、ふと思い出したのが、藤岡神のインタビュー記事です。ヘドバン vol.10 の中にこんな話が書かれていました。

『むらっちとか見てても思うのは、例えば休符がキレよく入るんですよ。めっちゃ歪んでて。「悪夢の輪舞曲」とか波形で見てもそこでスパッと、めっちゃ切れよく入る。BABYMETALは出来るだけキレよくやろうとしていて。どこまで伸びて、ここで絶対止まるっていうような、2人が完全にシンクロしてる感じ。』

『さっき言ったミュートの感じとか、どこまで伸ばすとかみたいなのは凄く集中してやってます。神バンドは基本的にみんなめっちゃ耳がいい気がするんですよ。本番でもよくあるんですけどフィードバックして、この辺で消えなきゃいけないのに、ちょっと残っちゃった。でも、ドラムがバーって入ってるからバレてないだろうなって、むらっちを見るとこっち見てる(笑)。』

自分はギターの経験がないので、これがどれだけ難しいことなのか十分にはわかりませんが、7本の弦で爆音を鳴らしながらの微細なコントロールは容易ではないものと思います。ベビメタのライブ演奏があれだけクッキリとクリーンに聴こえるのは、まさに「神わざ」の賜物なのでしょう。

ベビメタのライブがクリーンな印象を受けるのは、バンドの音だけではありません。SU、YUI、MOA の3人を合わせたパフォーマンス全体がとてもスッキリとした見通しの良さを備えていると感じさせます。これはどういうことなのでしょうか。

自分がベビメタにハマる前にいつも聴いていたクラシック音楽でも「見通しの良い」演奏という表現をされることがあります。例えばマーラーという作曲家の交響曲は、楽器の数が多くて曲の構造も複雑で、オーケストラが演奏する音がどうしてもゴチャゴチャになりがちです。ところが、ブーレーズやインバルといった指揮者の手にかかると見事にスッキリとした、まさに見通しの良い演奏になるのです。

この違いが生じるのは、指揮者が正確な演奏をオーケストラに厳しく求めるからという理由もあるかもしれません。しかし私の推測では、それよりも、演奏者一人一人に対して自分が複雑な曲の中でどういう役割を果たしているのかを意識させる能力が高いことによると考えています。自分の演奏者としての経験の中でも、ただ立っているだけでそれができる指揮者が確かにいました。

ベビメタのライブでは指揮者がいるわけではありませんが、楽曲、ダンス、ステージ上の動きなど、ほぼすべてが事前に綿密に決められている。そして、7人は与えられた役割をただ遂行するのではなく、ステージ上の隅々まで意識のアンテナを張り巡らせながら全力でパフォームする。個々の役割意識と全体の意識が上手くバランスしているのだと思います。

ベビメタの音楽は確かに外部の手で作り込まれた manufactured なものですが、それを高度な技術と強烈なステージ意識(プロフェッショナリズム)によって、cleanで見事なライブ・パフォーマンスに昇華させる。その結果、全力疾走のライブ映像でさえ、見る者に commercial と感じさせてしまう。それがベビメタの凄さなのではないでしょうか。