ベビメタ七転八倒

ベビメタのブログだったのに最近は鞘師多め

小田さくらの今を支持します

先日のソロフェスで小田さくらが語った言葉、そして本人が翌日のブログに書いた言葉を、私は驚きをもって受け止めました。曰く、ここ2年くらいずっと不安な気持ちで歌っている、ソロフェスは全然納得行く形に仕上げられなかった、などなど・・・。それらの言葉がどうしても気になったので、ソロフェスで歌った『引っ越せない気持ち』を、2017年に彼女がソロコンサート「さくらのしらべ」で歌った時の映像と聴き比べてみました。

2017年の方は、一言で表現すれば「七色の声音」。一曲の中で声を使い分けているどころか、1フレーズの中にいくつもの種類の声が混ざりあっていて変幻自在です。曲の中盤に「朝明けの青い部屋 真昼の高層ビル、夕まぐれの路地裏 夜空の下の二人、忘れはしないから ここで見ているから、静かにお休みよ 胸の思い出たち」と歌うところがあるのですが、私は Juice=Juice の稲葉愛香、金澤朋子高木紗友希段原瑠々が次々に入れ替わりながら歌っているかのような、極彩色の歌声だと感じました。これだけ幅のある歌い方を意のままに操れていたことに驚きます。

一方、ソロフェスでの彼女の歌声は単色です。ワンハーフの演奏だったので上に挙げた箇所そのものでは比較できないのですが、終盤の同じ歌詞の部分を聴くと、最近の小田さくらの芯のある透明な歌声一本で、その中で微妙なニュアンスを付けた、いわば墨絵のような世界が感じられます。自分が最初に聴いた時の印象は「良い歌唱だけど地味」というものでした。

「歌姫」小田さくらとしては、2017年当時のように思うがままに声を操れることが自分の「あるべき姿」だと考えているとしても不思議ではありません。声変わりのために出せる声が狭まって、柔軟性が失われてしまったような感覚なのでしょうか。いつもあれだけ強気の彼女が弱音を吐くくらいなのですから、大きなフラストレーションを感じているのでしょう。

でも、これは個人の好みの問題かも知れませんが、私は現在の小田さくらの歌声は正常進化形だと思うのです。以前の小田が持っていた「歌の道具箱」には実に様々な技が詰め込まれていて、どんな楽曲を与えられても余裕で歌い切ることができました。彼女はいわば「歌声で聴衆を驚かせる歌姫」でした。

しかし、大人になって道具の多くが封印された今、むしろ小田の本当の声を聴くことができるようになったのではないでしょうか。歌声から装飾を外していき、最後に残った核の部分を聴衆に曝け出して歌いかけるような、「歌で聴衆の心を打つ歌姫」になったのだと私は思うのです。ソロフェスを聴いた最初の感想は「地味」でしたが、繰り返して聴くと徐々に味わい深さに魅かれるようになり、今どちらを取るかと言われれば私はソロフェスの方を選びます。

以前の「鞘師里保の歌唱はリズムセクションである」と題した投稿の中で、小田さくらモーニング娘。の楽曲(音源)をリードするようになったのは2017年の『ジェラシー ジェラシー』以降であり、2018年の『自由な国だから』で現在の譜久村聖佐藤優樹小田さくらの3人が歌唱の中核となる体制が確立した、と書きました。小田さくらが自分の歌声に悩み始めたらしいこの時期に、逆にモーニングの楽曲制作においては彼女の地位が盤石なものになっていったのです。

歌は不思議なもので、聴き手に聴こえている自分の声を自分で直接聴くことができません。録音を聴けばある程度わかるものの、自分の耳が直接聴いている自分の声とはあまりに違うため、客観的に捉えるのはプロといえどもなかなか難しいのではないでしょうか。小田さくらの歌が年を重ねるごとに進化していると感じている者がいることを、彼女に是非知ってほしいと思います。