ベビメタ七転八倒

ベビメタのブログだったのに最近は鞘師多め

『純情エビデンス』とプラチナ期楽曲

モーニング娘。'20 の新曲『純情エビデンス』のMVが公開され、自分も昨晩から数えきれないくらい再生して聴き込んでいます。

あちこちに上がっている感想を読むと結構出ているのが「最初はなんかあっさりした印象だったけど、何度か聴くうちに味わいが出てくるスルメ曲だった」という声ですね。自分の第一印象も同じで、いつものバスドラム強めのEDMの上に軽い歌が乗っているなあという印象でした。でも、聴き込んでいくと緻密に作り込まれた細部がどんどん見えてきて、何度聴いても聴き飽きないという感想に変わっていったのでした。

この「あっさりした歌」という第一印象がどうして生まれたのだろうかと考えながらリピートを続けていく中で、一つ気づいたことがありました。それは『純情エビデンス』の歌が基本的に8ビートでできているということです。要所要所で2拍三連符が使われていたりしているのでロック調の硬い8ビートではありませんが、16分音符で刻むところはほとんどなく、ほぼ表拍と裏拍だけで歌が構成されています。

一方、インストの方はいつもと同様、モーニング楽曲の代名詞とも言える16ビートのEDMがしっかり鳴っています。『純情エビデンス』を大きく特徴づけているのは、16ビートのEDMの上に8ビートの歌が乗っているという構造なのではないかという気がしてきました。

実は、自分はこの数ヶ月間、モーニング娘。がスタートした1998年から現在までに楽曲がどう変化してきたのか、膨大な数の曲がある中でその全体の流れをつかもうという無謀な挑戦をしています。その探究の中で最近はプラチナ期の楽曲を集中して聴いているのですが、そこで次のようなことがわかってきました。(間違っていたらごめんなさい。)

ハロプロは16ビート重視と言われているが、モーニングの楽曲で16ビートが前面に出てくるのはプラチナ期が始まる直前の2007年初め頃から(『笑顔YESヌード』あたりからか?)。

・16ビートが前面に出てきたといってもそれは主にインストのビートであり、プラチナ期楽曲の歌は8ビートで作られているものが多かった。

・インストにEDM色が入り始めるのはプラチナ期中盤の2009年中頃から。

このように見てみると、『純情エビデンス』の「16ビートのEDMに8ビートの歌が乗っている」という形は、プラチナ期中盤〜終盤の楽曲と似ている可能性がありそうです。

そういう観点でプラチナ期楽曲を端から聴いてみたのですが、そこで見つけた『純情エビデンス』に似た形の曲を、新しいものから順に挙げてみます。

『Give me 愛』(2011年11月リリース)

『Fantasy が始まる』(2010年12月リリース)

『愛され過ぎることはないのよ』(2010年11月リリース)

『しょうがない夢追い人』(2009年5月リリース)

中でも最後に挙げた『しょうがない夢追い人』は、調が『純情エビデンス』と同じで速度も近いので、とても似た印象を受けます(ぜひ聴き比べてみてください!)。

さらに、『しょうがない夢追い人』はモーニングで初めて明確にEDM色のあるインストが現れた楽曲でもあるようです。なんだかプラチナ期中盤のこの楽曲が、11年半の長い紆余曲折を経て『純情エビデンス』になって帰ってきたような感慨を覚えてしまいました。

ただ、楽曲の構造が似ているといっても、歌の歌い方は大きく異なります。プラチナ期の歌唱は横にたっぷりと音を繋いで歌い上げるスタイルですが、『純情エビデンス』の歌唱は縦に鋭く拍を刻む『One・Two・Three』以降に培われたモーニング特有のスタイルが貫かれています。もし『純情エビデンス』を高橋愛新垣里沙田中れいなの3人が歌ったら、プラチナ期楽曲そのものに聴こえるのではないでしょうか。

このように掘り下げてみると、『純情エビデンス』はプラチナ期から現在に至るモーニング楽曲の総決算であるようにも感じてきます。ここからさらにモーニング楽曲はどこへ向かうのか。『ギューされたいだけなのに』には何かヒントが含まれているのでしょうか・・・。

LILIUMの歌い手たち

黑世界の公演に向けてTRUMPシリーズの研究に余念の無い人も多いのではないかと思います。一方、自分はと言いますと、実はまだLILIUMから次に進むことができずにいるのですが、その理由の一つにDVD付属のCDが素晴らし過ぎることがあります。このところ何度も繰り返し聴いているので、その中で感じたことを今回は書いてみます。

LILIUMに出演したメンバーのパフォーマンスは皆それぞれ素晴らしいと思いますが、その中で歌に注目すると、全出演者の中でも小田さくら石田亜佑美佐藤優樹和田彩花田村芽実鞘師里保の6人に自分は特に心惹かれます。そして非常に興味深いのは、舞台上の世界と観客を結ぶ空間の中で、それぞれが演じる役柄と本人自身の位置どりが六者六様であることが歌からも感じられ、そこに各人の個性が如実に表れていることなのです。一人ずつ見ていきましょう。

1. 小田さくら(シルベチカ)

LILIUMのCDは、1曲目の『Forget-me-not 〜私を忘れないで〜』がいきなり衝撃的です。ヘッドホンで聴くと小田さくらが自分の頭の中にいて直接歌いかけてくるような錯覚に陥るのです。

そのためもあるのか、小田はシルベチカそのものというより、舞台上のシルベチカと観客との間に立つ語り部としてシルベチカの歌を歌っているように自分は感じます。

舞台世界のシルベチカ → 小田さくら → 観客

という構図です。

演劇女子部の舞台で、小田は何の役をやっても小田に見えるという声を聞くことがありますが、それには小田の「語り部」としての位置取りが関係しているのではないでしょうか。

2. 石田亜佑美(チェリー)

語り部という観点で少し似ているのがチェリーです。ただ、こちらはチェリーという役自体が舞台世界と観客を繋ぐ媒介になっていて、石田亜佑美はそのチェリーと見事に一体になっています。チェリー=石田は、舞台世界と観客の双方と自由にやり取りをしながら場を一体のものにまとめ上げる重要な役割を果たしていますが、これは結構難度の高い演技なのではないでしょうか。

舞台世界 ↔︎ チェリー(=石田亜佑美) ↔︎ 観客

『ひとりぼっちのスノウ』を歌うチェリー(=石田)は、単に劇中の人物が歌っているのではない、しかし影でナレーションのように歌っているのでもない。微妙な位置に身を置きながら生き生きと歌った素晴らしいパフォーマンスだと思います。

3. 佐藤優樹(マーガレット)

『プリンセス・マーガレット』は楽曲として舞台から独立して生きていくことのできる、自己完結した名曲だと思います。ディズニーのアニメの中に出てきそうな感じですね。

そして、この曲を歌う佐藤優樹については、もう何と言っても、

佐藤優樹 = マーガレット

これに尽きます。完全に一致している。

極端に言えば、舞台世界も観客も置き去りにして「佐藤優樹=マーガレット」がニコニコ歌っている。そして、佐藤以外が演じるマーガレットなどあり得ないし、佐藤がマーガレット以外の役を舞台で演じることも想像できない、と感じさせられてしまうのです。

歌にディズニーらしさを感じるためかもしれませんが、この佐藤=マーガレットには2.5次元っぽさがありますね。アニメのキャラクターと声優の声は緊密に一体化していて、その声優がキャラクターに扮して舞台上で歌う。それに匹敵する一体感を佐藤=マーガレットから感じます。

4. 和田彩花(スノウ)

和田彩花が放射する独特の透明感は、彼女の歌にもはっきり表れています。それがスノウという、その名前に象徴される無色の役柄と合わさって、舞台世界と観客の間に二重の透明な幕がかかっているように感じます。見る者は、和田とスノウの二人を通して、その向こうにある暗い世界を覗き見るのです。

観客 → 和田彩花 → スノウ → 舞台世界

和田は美術史を学んでいたとのことですが、LILIUM での彼女を見て、自分はマーク・ロスコという抽象画家の絵を思い出しました。見る者を異世界に吸い込む様な、絵が現実と別の世界との境界になっているような作品群があり、それが和田彩花と彼女が演じるスノウの姿に重なると思うのです。

5. 田村芽実マリーゴールド

自分はこれまで田村芽実という人のことをほとんど知らなかったので彼女が普段どういう感じなのかわからないのですが、LILIUM や繭期大夜会で歌う田村を見ると「憑依型」という言葉がこれほど似合う人はあまりいないのではないかと思わされます。

マリーゴールドという人格が田村芽実を呑み込んでしまっている。そして、その田村を呑み込んだマリーゴールドが観客をも呑み込もうとしているかのようで、彼女の歌からはそんな恐怖すら感じます。

マリーゴールド田村芽実)⊃ 観客

アンジュルムのステージ映像で「高校1年の田村芽実です♡」などと挨拶している姿を見ても、一瞬の隙をついて彼女の中からマリーゴールドが現れてくるのではないかと身構えるようになってしまいました。

6. 鞘師里保(リリー)

マリーゴールド田村芽実を呑み込んでいるのと真反対なのが鞘師里保とリリーの関係です。これはもう、鞘師がリリーを捻じ伏せて完全に呑み込んでいる。そのリリーを呑み込んだ鞘師が、観客に全力でぶつかってくるのです。

鞘師里保 ⊃ リリー)→ 観客

リリーというあれだけ壮絶な役柄に打ち勝ち、舞台の終盤では、ひょっとするとこれはリリーの物語ではなく、鞘師里保の物語なのではないかとさえ思わせる、圧倒的な支配力を感じます。

来月始まる黑世界では、舞台に現れるのがリリーのその後なのか、鞘師のその後なのか、今から楽しみでなりません。

おわりに

自分が LILIUM に引き込まれるきっかけとなったのは『TRUE OF VAMP』を初めて聴いた時でした。「何だかよくわからないけどとにかく凄い」というのが最初の感想で、そこから私の探究の旅が始まったのです。

和田、田村、鞘師の3人がそれぞれまったく違うアプローチで役柄を演じ、それらがぶつかり合うことで LILIUM の複雑な世界観が象徴的に表れる。素晴らしい歌唱です。

さて、黑世界に向けて予習を拡げたいところではあるのですが、LILIUM から抜け出せる時が来るのでしょうか…

小田さくらの今を支持します

先日のソロフェスで小田さくらが語った言葉、そして本人が翌日のブログに書いた言葉を、私は驚きをもって受け止めました。曰く、ここ2年くらいずっと不安な気持ちで歌っている、ソロフェスは全然納得行く形に仕上げられなかった、などなど・・・。それらの言葉がどうしても気になったので、ソロフェスで歌った『引っ越せない気持ち』を、2017年に彼女がソロコンサート「さくらのしらべ」で歌った時の映像と聴き比べてみました。

2017年の方は、一言で表現すれば「七色の声音」。一曲の中で声を使い分けているどころか、1フレーズの中にいくつもの種類の声が混ざりあっていて変幻自在です。曲の中盤に「朝明けの青い部屋 真昼の高層ビル、夕まぐれの路地裏 夜空の下の二人、忘れはしないから ここで見ているから、静かにお休みよ 胸の思い出たち」と歌うところがあるのですが、私は Juice=Juice の稲葉愛香、金澤朋子高木紗友希段原瑠々が次々に入れ替わりながら歌っているかのような、極彩色の歌声だと感じました。これだけ幅のある歌い方を意のままに操れていたことに驚きます。

一方、ソロフェスでの彼女の歌声は単色です。ワンハーフの演奏だったので上に挙げた箇所そのものでは比較できないのですが、終盤の同じ歌詞の部分を聴くと、最近の小田さくらの芯のある透明な歌声一本で、その中で微妙なニュアンスを付けた、いわば墨絵のような世界が感じられます。自分が最初に聴いた時の印象は「良い歌唱だけど地味」というものでした。

「歌姫」小田さくらとしては、2017年当時のように思うがままに声を操れることが自分の「あるべき姿」だと考えているとしても不思議ではありません。声変わりのために出せる声が狭まって、柔軟性が失われてしまったような感覚なのでしょうか。いつもあれだけ強気の彼女が弱音を吐くくらいなのですから、大きなフラストレーションを感じているのでしょう。

でも、これは個人の好みの問題かも知れませんが、私は現在の小田さくらの歌声は正常進化形だと思うのです。以前の小田が持っていた「歌の道具箱」には実に様々な技が詰め込まれていて、どんな楽曲を与えられても余裕で歌い切ることができました。彼女はいわば「歌声で聴衆を驚かせる歌姫」でした。

しかし、大人になって道具の多くが封印された今、むしろ小田の本当の声を聴くことができるようになったのではないでしょうか。歌声から装飾を外していき、最後に残った核の部分を聴衆に曝け出して歌いかけるような、「歌で聴衆の心を打つ歌姫」になったのだと私は思うのです。ソロフェスを聴いた最初の感想は「地味」でしたが、繰り返して聴くと徐々に味わい深さに魅かれるようになり、今どちらを取るかと言われれば私はソロフェスの方を選びます。

以前の「鞘師里保の歌唱はリズムセクションである」と題した投稿の中で、小田さくらモーニング娘。の楽曲(音源)をリードするようになったのは2017年の『ジェラシー ジェラシー』以降であり、2018年の『自由な国だから』で現在の譜久村聖佐藤優樹小田さくらの3人が歌唱の中核となる体制が確立した、と書きました。小田さくらが自分の歌声に悩み始めたらしいこの時期に、逆にモーニングの楽曲制作においては彼女の地位が盤石なものになっていったのです。

歌は不思議なもので、聴き手に聴こえている自分の声を自分で直接聴くことができません。録音を聴けばある程度わかるものの、自分の耳が直接聴いている自分の声とはあまりに違うため、客観的に捉えるのはプロといえどもなかなか難しいのではないでしょうか。小田さくらの歌が年を重ねるごとに進化していると感じている者がいることを、彼女に是非知ってほしいと思います。

 

道重さゆみという歌い手

前回まで投稿していた「鞘師里保の歌唱はリズムセクションである」の中でうまくカバーできなかった話題があるのですが、やはりどうしても書いておきたいので補足させてください。その話題とは道重さゆみについてです。

歌が下手なことを自虐ネタにしていた道重は、オーディションを受けた時には歌に音程があることを知らなかった、という驚愕の発言まで残しています。オーディション合宿での菅井英憲によるボイストレーニングの映像はモーニングの歴史の中でも有数の感動を呼ぶ場面だと思いますが、道重と菅井の努力に胸を打たれるのと同時に、あれだけ歌えない彼女を合格させたつんくや運営陣の慧眼にも驚いてしまいます。

実際のところ、ロングトーンが苦手で音程をうまく支えられないというのが道重さゆみの歌唱上の短所であったことは明らかです。しかし、彼女が参加している楽曲を聴いていて徐々にわかってきたのは、彼女の歌はリズムが非常に正確だということです。'14のメンバーの中で言えば鞘師里保に次ぐリズム感で、それ以外のメンバーとは大きな差があります。

道重の歌唱で非常に特徴的なのは発声の終わりをキュッと上げることで、ユニゾンの中であってもあの声が聞こえることで彼女が歌唱に加わっているのがすぐにわかります。歌い終わりまで声を保つのが苦手なために編み出した歌唱法なのだろうと思いますが、声を止めるタイミングを正確に取れない者があの歌い方をしたら楽曲全体が崩れてしまうことでしょう。

『彼と一緒にお店がしたい』(2011年9月リリース)は道重さゆみにしか歌いこなせないユニークな楽曲ですが、制作者が彼女の特長を活かす術を心得ていれば道重は優れた歌い手になり得ることを証明している曲だと思います。

鞘師里保の歌唱は、その正確で歯切れの良いビート感からリズムセクションのようであると前回までの投稿で述べました。その特徴が最も楽曲に表れたのは2013年後半から2014年にかけてですが、その時期に鞘師と一緒にクオリティの高いビートを刻んでいたのが道重さゆみでした。

道重卒業後の2015年にモーニングの楽曲が大きく変化したことを前の投稿で書きましたが、その変化の大きな原因の一つが彼女の卒業だったのではないかと自分は考えています。引き続き鞘師がいるとは言え、楽曲をリードする役割を常に鞘師一人だけに負わせる訳にはいかない。そう考えての低速化やセンターレス化であった可能性は高いのではないでしょうか。

歌唱から姿を消すことで逆に大きな存在感を示した道重さゆみ。私は彼女のベストパフォーマンスは卒業公演の『見返り美人』だと思っています。自分は一言も歌わずに歩く姿だけで横浜アリーナの大観衆を引き込んだ、誰にでもできる訳ではない道重さゆみならではの「歌」でした。

鞘師里保の歌唱はリズムセクションである⑥

(この投稿は前5回からの続きです。よろしければ①〜⑤もご覧ください。)

 

7. 佐藤優樹がつなぐ世界

鞘師里保卒業後の2016年から2018年までの3年間は、モーニングの歌唱を担う新たな中核メンバーが一人、二人、三人と、ゆっくりではありますが着実に立ち上がっていく時期となりました。

その中で、いち早くモーニング楽曲の中心に歩み出て来たのは佐藤優樹だったと言えるでしょう。ハスキーでありながら鼻にかかった響きもあるニュアンス豊富な声質、16ビートを正確に刻めるリズム感、そして音の歌い出しと終わりが決して緩まない歌唱スタイル。そんな彼女の声が楽曲の要所々々に彩りを加え、それが積み重なることで楽曲全体の印象がいつの間にか決まっていくような、そんな役割を徐々に果たし始めます。

『泡沫サタデーナイト』(2016年5月リリース)には、「サ、タ、デ、ナイッ」、「お、ど、り、たいっ」、「と、ま、ら、ないっ」、と歌う箇所がたくさんあり、すべて「あいっ」で韻を踏んでいることから強い印象が残ります。この「あいっ」を歌う佐藤優樹の声が素晴らしくよく通っていて、『泡沫サタデーナイト』の魅力の半分以上がここにあるとさえ言えると感じます。

この曲は幸いにもレコーディング映像がたくさん残っているので、例えば小田さくら佐藤優樹の歌唱を聴き比べることができるのですが、おそらく歌の技術では小田の方が上であるにも関わらず、レコーディングが進むうちに楽曲の要になる部分を佐藤が自分のものにしていってしまう様子が窺えて大変興味深いです。

原典が見つからなくなってしまったので不正確ですが、この頃に佐藤は「鞘師里保の卒業であいた穴を埋めるのではなく、穴はそのままにしてそこから何かが生まれてくるのを待とうと思う」という意味の発言をインタビューでしていたと思います。佐藤自身が率先してその「生まれてくる何か」になり始めた。2016年はそういう時期だったのでしょう。

8. 小田さくらの進化

このブログを読んで下さっている皆さんは、私が小田さくらに対して冷淡だと感じていらっしゃるかも知れません。「歌姫」としてモーニングに加入し、早くからライブステージ上でグループ全体の歌唱を支える大きな役割を小田が果たし続けていることは明らかです。しかし、2016年までの楽曲の音源をどれだけ聴き込んでも、私には小田が楽曲表現の中心にいるようにはどうしても聴こえないのです。

それが大きく変わる時がとうとうやって来ました。2017年3月リリースの『ジェラシー ジェラシー』です。

それまでの小田さくらの歌唱の特長と言えば、その柔らかく伸びやかな声質がまず挙げられます。しかしその裏返しとして、発声の立ち上がりに時間がかかること、そして音の終わりにビブラートがかかることによって、プラチナ期が終わった2012年以降のモーニング楽曲のビート重視でシャープな曲調とは整合していなかったと感じます。

ところがこの『ジェラシー ジェラシー』から、小田の歌唱にアタックの強さや声のオンオフのメリハリが加わってきます。その変化はソロ部分でもよくわかるのですが、もっと重要な変化をユニゾンの中で聴き取ることができます。この曲のサビの部分は、メンバーが二つに分かれて掛け合いの形で進みますが、その一方を佐藤優樹が、もう一方を小田さくらがリードしています。

「綺麗になりたい」(小田チーム)

「もてはやされたい」(佐藤チーム)

「私の努力よ」(小田チーム)

「誰か讃えて」(佐藤チーム)

それまではユニゾンだと埋もれがちだった小田の声が、ここではチームの歌唱の芯になっている。そして、佐藤の声と対をなすことによって、グループ全体の歌唱に厚みと説得力が増したと感じます。

(※ 投稿後に気付いたのですが、ここで私が感想を書いた音源は2017年12月リリースの「Album Version」でした。同年3月にリリースされたオリジナルのシングルでは、佐藤優樹が録音に参加していません。この2つのバージョンを聴き比べるのも味わい深いです。)

『ジェラシー ジェラシー』と同じシングルには『BRAND NEW MORNING』が収められていますが、この時期まさにモーニングの新しい時代が始まろうとしていたと言えるのではないでしょうか。

9. 譜久村聖の攻撃参加による新体制の確立

譜久村聖の歌とダンス両面での献身的なパフォーマンスは既に2014年頃から顕著に表れていました。野球に例えれば、内外野を問わず全力で走り回って守備の穴をことごとく塞いでくれる。有名な「譜久村ダッシュ」は、単に道重さゆみ卒業公演で起きた一回性の出来事というより、彼女が毎回見せ続けている姿があるからこそ、その象徴として語り継がれているのだと思います。

その譜久村がいよいよ攻撃側に本格参戦し始めたと感じるのが、2018年10月リリースの『自由な国だから』です。小田さくら譜久村聖佐藤優樹の3人の声が次々と入れ替わりながら混ざり合っていく構成が素晴らしい。他のメンバーの声も加わっていますが、3人の歌割は次のような感じです。

まずは冒頭の部分。

「束縛はさせない、私は私よ(小田)」「いつまでもここには、いられない、so いられない(譜久村)」「形あるものなら、いつかは壊れるから(佐藤)」「いつまでも未練は、抱かない、so 抱かない…(小田、譜久村)」

次に中盤。

「自由な国だから、私が選ぶよ(譜久村)」「いいわけなら、聞かない、いさぎよく、so いさぎよく(佐藤)」「あの時のセリフと、ニュアンス、全然違うね(小田)」「恥ずかしく、ないのが、不思議だよ、ah 不思議だよ…(譜久村、佐藤)

そして後半部分。

「束縛はさせない、私は私よ(佐藤)」「いつまでも、ここには、いられない、so いられない(小田)」「形ある物なら、いつかは壊れるから(譜久村)」「いつまでも未練は、抱かない、so 抱かない…(佐藤、小田)」

3人がローテーションしながら歌っていくのですが、それぞれの歌声の特徴を残しながらも、この楽曲をどう歌うかの意思統一が3人の間で取れていて、以前のセンターレスの時期にはなかった強い説得力を歌唱に感じます。2016年から約3年をかけて、とうとうモーニングの新たな歌唱の体制がここに確立されたのだと私は思います。

かつての鞘師里保一強に対し、今回は3人の声が重なることで厚みが出ました。歌詞の発音もかつての音節単位で細かく切る形ではなく、ひと回り大きな括りで歌うことによって声に様々なニュアンスを入れられるようになっていると思います。過去を再現するのではない、新しいモーニング歌唱の誕生です。

10. '20の高揚と将来

2020年1月リリースの『KOKORO&KARADA』は、新しいモーニング歌唱の魅力を余すところなく伝える楽曲だと思います。リードする譜久村、佐藤、小田の充実した歌唱は勿論のこと、他のメンバーもスキルを上げていて、曲全体を通してほとんど緩んだところがありません。

「'14 が最高だったけれど、'20 もそれに劣らず素晴らしい」という声を少なからず目にしますが、私もまったく同意見です。彼女達は今後更にどのような歌を聴かせてくれるのか、楽しみでなりません。

さて、最後に一つだけ書き添えます。今の譜久村・佐藤・小田体制の次にモーニングの歌唱をリードするのは一体誰でしょうか。未来のことなど誰にもわかりませんが、私がいま最も注目しているのは山﨑愛生です。

今回ブログを書くにあたってモーニングの楽曲音源を数え切れないほど聴きましたが、山﨑の特徴ある声質と思い切りの良い発声は、12期以降のメンバーの中で突出しているのではないでしょうか。5年後に誰が歌唱をリードしていて、その歌唱を活かすどのような楽曲が生まれてくるのか、楽しみにしていきたいと思います。

・・・

ずいぶん長くなってしまいましたが、6回にわたったモーニングの歌唱に関する投稿はこれで終わりです。読んでくださった皆さん、お付き合いいただきありがとうございました。

奇しくも今日は自分が鞘師里保に出会ってからちょうど一年。この1年間のモーニング研究の蓄積をすべて吐き出した感じです。今後また何か材料が出てきたらブログに書きたいと思います。それではまた。

鞘師里保の歌唱はリズムセクションである⑤

(この投稿は前4回の続きです。よろしければ①〜④もご覧ください。)


6. センターレス化と一時代の終わり

2015年にモーニングの楽曲に起こった変化は多岐にわたるのですが、それらを敢えて一言で表現するとすれば、「センターレス化」ということになるだろうと思います。ここでいうセンターとは、フォーメーションダンスのポジションではなく、「楽曲の芯を作る歌い手」というような意味です。どういうことなのか、具体的な楽曲で見ていきましょう。

Oh my wish!』(2015年8月リリース)は、2015年の楽曲の中では唯一前年の高速化の流れを受け継いでいて(BPM164程度)、インストの曲調にも継続性が感じられます。一方、歌とダンスでメンバーが2チームに分けられていて、ダンスチームとなった鞘師、譜久村、生田、石田の4人は歌唱に参加していません。なので、2013年後半から続いた一連の楽曲から鞘師の歌声が抜けたらどうなるかを示してくれる曲でもあります。

この曲の歌唱では、鈴木香音工藤遥佐藤優樹小田さくらがソロを取る頻度が高く、良い面としては各人の個性ある歌声が聴けて楽しいのですが、その反面各自の方向がバラバラで、グループとしての個性は見えにくくなっていると感じます。佐藤も小田も、この時点ではまだ全体を牽引するだけの歌唱力を持つには至っていません。それでも『Oh my wish!』は曲調のおかげで当時のモーニング楽曲らしさを維持していましたが、2015年のその他の楽曲には更に大きな変化がありました。

2015年最初のシングルで4月にリリースされた『青春小僧が泣いている』と『夕暮れは雨上がり』、そして8月リリースの『スカッと My Heart』の3曲はいずれもBPMが120程度なのですが、このあたりの速くも遅くもないテンポの曲はそれ以前のモーニング楽曲では非常に少なく、シングル曲では2009年2月リリースの『泣いちゃうかも』以来6年ぶりのことです。

この3曲を聴くたびに自分が感じるのは、なんとも言えず掴みどころがないなあということです。その理由は何かと考えると、この馴染みのない楽曲スピードに対して鞘師を含めどのメンバーの歌唱もジャストフィットしていないことにあるのだろうと思うのです。

青春小僧が泣いている』では、まず何と言っても鞘師の歌唱が目立つ箇所が非常に少なく、数カ所聴こえるところでも曲全体をリードするような役割ではまったくありません。『夕暮れは雨上がり』だと鞘師の出番がもう少し多いですが、例えば終盤に「照らしてくれました(て ら し て く れ ま しーーー たー あー)」「未来へ(み ら い えー)」といったソロがあるものの、楽曲世界の中心からは遠く感じられます。

鞘師以外のメンバーは、『Oh my wish!』でも触れたように自分の歌唱で曲全体をリードするだけの力は持てておらず、楽曲に芯を通す歌い手がいないセンターレスな状況が広がっていたのがこの時期の状態でした。

(話が飛びますが、鬼門とも言えるBPM120前後の楽曲はこの3曲以降一旦姿を消し、次に現れるのは2017年3月、小田さくらがいよいよ歌唱の牽引者として躍進する『ジェラシー ジェラシー』となります。)

(※追記:2015年の秋ツアーで初披露された『私のなんにもわかっちゃない』もBPM120程度で、やはりこの時期に何らかの明確な意図を持って楽曲制作が行われていたことが窺えます。)

さて、2015年で最後に触れなければならないのは、鞘師里保が最後に参加したシングル(2015年12月リリース)の中の2曲についてです。当初は鞘師のソロ曲になる予定だった『冷たい風と片思い』、最終の武道館公演で披露された『Endless Sky』。どちらも鞘師の卒業というドラマと切り離すことのできない楽曲であり、そのストーリーを知る者は心を揺さぶられざるを得ません。

ただ、ここで敢えて背後のストーリーを切り離し、楽曲だけを冷静に見てみると、この2曲でも実はセンターレスが起きていたと自分は思うのです。「冷たい風の中 歩いて帰るけど」、「生きてくルールに縛られてる」、どちらもエモーショナルな箇所ですが、彼女の歌い方がこれらの楽曲に本当に合っているのかというと、そうでもないと感じざるを得ません。

こうして楽曲との間に距離が生じたまま、鞘師里保がモーニングの歌唱に大きな影響を与えてきた一つの時代が終わりました。今回はなんともモヤモヤした話になってしまいましたが、しかし、このモヤモヤ感こそが2015年を象徴していると思うのです。

それでは残されたメンバーが歌う楽曲はその後どうなっていったのでしょうか。項を改めてまた書いていきたいと思います。

 

鞘師里保の歌唱はリズムセクションである④

(この投稿は前3回からの続きです。よろしければ①②③もご覧ください。)

 

5. 鞘師エース期の楽曲高速化とその反転

前回の投稿後に調べ始めたことがあるのですが、その結果があまりに鮮やか過ぎて驚きました。それは楽曲の速度についてです。

2011年の9期加入から2013年5月の田中れいなラスト参加シングルまでの間、シングルA面曲のBPM(1分あたりの拍数)はおおよそ126から144くらいでした(数字は私のラフな計測ですので、大体そのくらいという程度でご覧ください)。例外として『まじですかスカ!』や『ピョコピョコ ウルトラ』が174程度と極めて高速ですが、この2つはコミカルな楽曲なので別物と捉えて良いでしょう。

ところが、『わがまま 気のまま 愛のジョーク』になるとBPM156とギアが明らかに上がり、『Password is 0』が150、最速の『What is LOVE?』では200に達しました。比較的遅い『君の代わりは居やしない』や『TIKI BUN』でも140くらいあるので、この時期の楽曲は明らかに高速化していたと言って良いと思います。

ところがこの同じ時期に、真逆の方向を探るかのような興味深い楽曲が出てきました。2014年1月リリースの『笑顔の君は太陽さ』です。

この曲は非常に手が込んだ作りになっていて、全体の基本的な構造は4分の4拍子でBPM160という高速なのですが、「(ドン、ドン、パン)」という手拍子が印象的なイントロ前半の部分は半速の2分の2拍子(BPM80)、イントロ後半は4分の4に移るものの、「悔しさは、忘れるもんじゃない」で始まるAメロから再び2分の2になり、ゆったりしたテンポ感で歌が流れていきます。その後サビでは4分の4になりますが、2番に入って再びテンポの入れ替わりが繰り返されていきます。また、スローな部分では歌の言葉が短く刻まれていて、スローでありながらキビキビしているという小気味の良い楽曲になっているのです。

推測するに、この時期の楽曲制作陣は今後リリースする曲の多くが高速化していくことを見通しながら、当時のモーニング歌唱の特徴を損なわずにスローに聴かせる楽曲作りにも取り組んだのではないでしょうか。そして、その試みを更に推し進めたのが2014年4月リリースの『時空を超え 宇宙を超え』です。

BPMが114程度というそれまでのモーニング史上で稀に見るスローなこの曲ですが、歌唱にはしっかりとモーニングらしさが詰まっています。歌い出しの「私はまだね未完成」の部分を見てみましょう。

「わっ、た、し、わ、まっ、だ、ね、み、か、ん、せい」

声のボリュームは控えめで囁き声を混ぜた静かな歌唱ですが、音節単位で歯切れ良く歌う歌い方は他のモーニング楽曲と変わりません。その中でこの曲で特に印象的なのが、フレーズの最後(上の例では「未完成」の「い」)の音を半拍でスパッと切っているところです。曲中に同様の箇所がたくさんあり、「時空を超え」の「え」や「宇宙を超え」の「え」では音源を編集する際に機械的に声を半拍で切り落としているようにも聞こえ、曲作りの中でフレーズ末尾の処理が強く意識されていたことがわかります。『時空を超え 宇宙を超え』は、曲調やテンポがどうあろうとも「モーニング歌唱」が成立することを示した記念碑的な楽曲ではないでしょうか。

小田さくらが2019年3月のソロコンサートで『時空を超え 宇宙を超え』を歌った映像を見たのですが、そこで彼女は末尾の音をほぼ2倍の拍に伸ばし、その中でビブラートをかけていました。そもそもアレンジもテンポもオリジナルとは大きく違う演奏ではあったのですが、この末尾処理だけでモーニング的な歌唱と決定的に違って聞こえるのがとても興味深く思いました。)

さて、今回見てきた『笑顔の君は太陽さ』から『時空を超え 宇宙を超え』につながるスロー曲の流れは翌2015年の『冷たい風と片思い』へと向かっていくのですが、2015年はいくつもの大きな変化が生じた年でした。次回はこの2015年の楽曲を見ていきたいと思います。

(続く)