ベビメタ七転八倒

ベビメタのブログだったのに最近は鞘師多め

音程補正のこと

自分はどうしてもBABYMETALの「音」が気になってしまう人間なので、いつかは触れなければと思っていたトピックがあります。なかなか扱いが難しい話なので書くのを先送りしてきたのですが、あるきっかけに遭遇してしまったので、頑張って書いてみます。

金キツネ祭りの青デロ、素晴らしいのですが、一箇所 おや? と思ったところがあります。アモーレの後半、SUが屈み込んだ後に歌い出すあたりで、ボーカルの音程がフラットするのです。

最初はSUの声自体の揺らぎによるものかと思ったのですが、どうも違うように感じる。何かノメ〜っとした下がり方で、機械的な処理によって起きたもののように聴こえます。素人の推測でしかありませんが、編集作業の途中で操作ミスがあり、それに気づかないまま完パケとなって製品化されてしまったもののように感じます。

ライブの現場で集音した音をそのままCDや映像作品として世に出すことはあり得ません。マイクで取った音はそれぞれに偏りがあるでしょうし、客席での聴こえ方に近づけようとすれば残響も加味する必要がある。結局、現場でこのように聴こえたら最高だったろうという音を想像して再構成するしかないのだろうと思います。

他方、その場で鳴っていた音と明らかに違う音に変えることをどう考えるか、というのは自分にとって極めて難しい問題です。クラシック音楽方面から来た自分は、プロの音楽家を尊敬する大きな理由の一つが、素人には難しい楽曲を一定以上の正確さで演奏・歌唱できることにあります。正確であれば感動するという訳ではまったくありませんが、私の場合はかなり高いレベルでの正確さが無ければ大きな感動には至り難いのです。

好きなバイオリニストに五嶋みどりという人がいますが、彼女の凄味と深みのある壮絶な演奏の基盤には、どんなに速いパッセージでも乱れることのない正確な音程があります。ピアニストの場合でも、左右の手の打鍵がどれだけ緻密に同期が取れているかによって、耳に届く音は随分違って聴こえます。

Reddit の投稿の中に今回のキツネ祭りBDでは Auto Tune が使われていないのではないかというコメントがあったので、ウィキペディアでオートチューンの項目を読んでみました。

そこでは、オートチューンとは何かという説明に続き、音程補正への批判的意見が紹介されています。例えば、

日本の音楽家菊地成孔は音程補正の流行を批判して「現代に於ける『音痴』は『生声で音程をちゃんと取れない』という原義よりも抽象化され、『音程修正を施しているのが解ってしまう』こと。の方に移っています」と証言している。

などと書かれています。私のような素人でも音程のことが気になるのですから、プロの音楽家が問題意識を持つのは当然でしょう。

一方、音程が修正されていると解っていたらその音楽から感動は得られないのか、と言えば必ずしもそうではありません。少なくとも BABYMETAL は違う。途中までは色々と雑念が頭をよぎったとしても、いつしかすべて忘れて音楽に没頭してしまう。細かいことを脇に押しやってしまう強力な魅力を放つパフォーマー集団だと思います。

結局のところ、音程補正の有無など考える暇もないほど素晴らしい演奏になっていれば、音程が補正されていても構わない、と考えれば良いのでしょうか。なんだか堂々巡りの話になってしまいました。すっきりしませんが、今回はこの辺で・・・。